世界文学会

Society of World Literature JAPAN

2024年度 第一回 連続研究会のお知らせ

連続研究会「世界文学と「異なるもの」」

第一回 研究会 12月16日(土)14:00-17:00

石井沙和 「“中心”から離れて−イタロ・ズヴェーヴォの特異性」
中西恭子 「近現代日本語詩歌と古代ギリシア・ローマ受容」

対面とzoomによるハイブリッド開催
〔対面〕 慈恵会医科大学国領キャンパス医学科本館講義室2A
     対面での参加をご希望の場合は、運営委員の平山令二までご一報ください。
        hirayama”at”tamacc.chuo-u.ac.jp (“at”を@に変換してお送りください)
〔オンライン〕 Zoomにて会場から中継
     Zoomリンクにつきまして、お申込みいただいたのちに、メールでお知らせいたします。

お申込みについて
   事前に、以下のFormから、あるいはQRコードからお申込みください。
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発表要旨

石井沙和 「“中心”から離れて−イタロ・ズヴェーヴォの特異性」

  イタリアの精神分析文学の傑作といえばズヴェーヴォの『ゼーノの意識』(1923)である。今でこそ「イタリアの」と問題なく扱える作家だが、当時はイタリアからは黙殺され、フランスでの評価がなければ、評価はさらに遅れただろう。これはこの作家が当時のイタリア文学において特異な存在であることに因る。発表では異質な作家が辿った評価されるまでの道のりを追い、この特異性を考察する。
  ハプスブルク帝国の支配下のトリエステだからこそ、作家ズヴェーヴォが誕生する条件が整っていた。それゆえに、後の傑作が黙殺された。作家は「イタリア語が下手」と断じられ、イタリア文学は「すわりの悪い作家」の存在を受け入れきれず狭量さを露呈した。ズヴェーヴォは執筆言語とその言語による文学規範の相性が極めて悪かった。
  「イタリア文学」にとって、当初この作家は中心的な作家ではないことはもちろん、周縁ですらなかった。だがイタリア文学という文脈を離れヨーロッパ文学に移ると、輝かしい席が用意されていた。この「ねじれ」は作家と様々な“中心”との関係から生まれたものであり、イタリア文学においてズヴェーヴォを特異な作家たらしめている。


中西恭子 「近現代日本語詩歌と古代ギリシア・ローマ受容」

近現代日本におけるギリシア・ローマ文学の受容の過程において、西洋古典学者による主要作品の学術的観点による翻訳・紹介は日本語でギリシア・ローマ文学にふれる機会を飛躍的に拡大し、読者層を大きく広げた。一方、マスマーケット向けの物語形式の作品やグラフィック・ノヴェルズによる古典古代文化の再話・紹介においては、日本と古代ギリシア・ローマ世界の共通点を強調した上で、日本はいまなお「多神教」が息づく世界であるがゆえに、「日本人」には一神教社会に生きる人以上に「多神教社会」をよく理解できる可能性があるという主張が顕著にみられる。詩歌の場合には、古典の普遍性を信頼してアダプテーションと再話を実作において行うことで「世界文学」に連なる可能性への期待がかえって日本語詩のおかれた状況の地域性が明らかにする。西脇順三郎はモダニズムの引証と「意識の流れ」の語りの技法を導入することで、東西の古典と眼前の自然観照を自在に結ぶ語りの技法を見いだしたが、ノーベル文学賞への推挙のさいに自らの詩法を広く「世界文学」の想定読者に伝えるに至らなかった。呉茂一に私淑し、その雅俗混淆体による西洋古典詩の訳業に魅せられて同人誌『饗宴』に集った詩人たちは鷲巣繁男や高橋睦郎のように呉の思考と文体の語り部となった書き手も存在する。本報告では、近現代日本語詩歌における西洋古典詩の受容を通して、「世界文学」と「異なるもの」について考察する。

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