世界文学会

Society of World Literature JAPAN

2022年度 第3回連続研究会のお知らせ

2022年度 連続研究会「疫病と世界文学」

第三回研究会 6月11日(土) 14:00-17:00

  1. 田中真美 「人を冒す“悪疫”に抗して 『デカメロン』における“ペスト”に関する一考察」
  2. 高山秀三 「トーマス・マンと感染症」

研究会はOnline で行います。

参加希望者は、世界文学会事務局宛の問い合わせフォームで、「第三回連続研究会参加希望」と書いて、ご連絡ください。Online参加方法を折り返し連絡します。
なお、会員以外の希望者は、お名前とEメール・アドレスの他、所属、専門分野(関心領域)を書き添えてください。

<発表要旨>

田中真美「人を冒す“悪疫”に抗して 『デカメロン』における“ペスト”に関する一考察」

ジョヴァンニ・ボッカッチョ(1313-1375)の『デカメロン』では、収録された100話の物語が語られることになった契機として、冒頭、1348年にフィレンツェを襲ったペスト禍が描写される。その迫真性に富む記述を、年代記などと並んで、当時の惨状や公衆衛生のあり方を伝える貴重な証言として知る人は多いだろう。また、死の影が背景として描き置かれることは、各話で語られる生に溢れた人間模様を際立たせ、ここに本作の意義が見出されてきたのも事実である。 しかし、この“ペスト”描写を丁寧に観察すると、死そのものへの恐れよりもむしろ、それにより崩壊した人間性に対する危機感が露わとなる。ここには、“ペスト”を指して使用される語の、我々の知る「伝染病としてのペスト」には限定しきれない、より広範な意味を読み取らねばならないであろう。また、この描写が直接「枠物語」に接続されていることや、読者(あるいは聴衆)が実際にその惨禍を知る者たちであることにも注意を向けたとき、この危機的状況に対する意識が『デカメロン』全体を構築する上での礎となっていることは明確である。“悪疫”に抗するボッカッチョの筆が本作で語りかけているのは何であったのか、本発表をその考察の機会としたい。

高山秀三「トーマス・マンと感染症」

トーマス・マンはその作品で多くの感染症を扱っているが、それらはいずれも作品の核心に触れる重要な意味を担っている。たとえば『ヴェニスに死す』の主人公は旅先のヴェニスで出会った少年への愛に耽溺し、営々と築き上げてきた謹厳で品位ある人格を崩壊させ、死に至るが、コレラは主人公の精神の劣化に乗じてその存在を侵食し、破壊する邪悪な病として描かれる。また『魔の山』の主人公はたまたま訪れたダヴォスの療養所で結核の徴候を発見され、そこに7年間居つづけることになるが、その感染は価値中心を失った時代を生きる主人公の空虚な精神が呼びこんだものとして語られる。
感染症だけでなく、初期作品で多く扱われた神経症や狂気、さらには晩年の『欺かれた女』における癌を含めてマンが描いた病は、すべて文化的な記号性をつよく帯びた「隠喩としての病」(スーザン・ソンタグ)だった。人生につきまとう災厄として病は文学のなかでしばしば絶対悪の位置を占めてきた。他方で、文学はしばしば生の意味を捉えなおす契機として病を扱ってきた。生涯をとおして病める人間であるという自覚を持ちつづけたマンは、文学における病のエキスパートだった。今回の発表では、マンの作品にあらわれた感染症に焦点をしぼり、それらがどのような意味を付与されているかを探る。

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